死んでも死にきれない!?~無念な死に方をした人物3選~
どうも、NSTです。
今回の記事は人の生死に関する内容のため、ご不快に思われる方もいらっしゃる可能性があろうかと思います。
閲覧の際はその点を十分にご留意願います。
さて先日、インターネットの記事でこんなニュースを拝見しました。
9月15日にアメリカのマサチューセッツ州で26歳の男性がサメに襲われて死亡してしまいました。
この男性はこの日にビーチでプロポーズする予定だったそうです。なんともやり切れませんね。
2017年9月にも沖縄県でプロポーズに成功した直後の男性が橋から落下し、死亡するという、これまたやりきれないニュースもありましたが、歴史を振り返るとなかなかに無念な死に方をなさっている方がいらっしゃるようです。
今日はそんな方たちの一部をご紹介します。
※亡くなった方々を嘲笑するつもりは一切ないことを予め記載させていただきます※
※人の生死に関わる内容ですので閲覧は自己責任でお願いします※
アルキメデス
金でできた王冠の体積を水に沈めて測る故事で有名な「アルキメデスの原理」を発見した方です。
当時から著名な人物で、敵国の将軍からも殺してはならないと言われるほどの方でしたが、 実際に戦争がはじまると、敵国の兵士が名前を尋ねた際、地面に図形を書くのに夢中で無視したため、殺されてしまいました。
一生懸命考えている最中に亡くなってしまい、答えを出せなかったことを考えると、きっと無念であったことでしょう。
ちなみに彼を殺害した兵士は上官からこっぴどく叱られたそうです。
イヴァン・イヴァノヴィチ
ロシアのリューリク朝の皇太子で「雷帝」と呼ばれたイヴァン4世の息子です。彼は次男でしたが、長男が幼少期になくなっており、次期後継者と目されておりました。
しかしながら父親と対立することも多く、あるとき、彼の奥さんを父親が足蹴にしているところを、守るために間に入ったところ、父親から鉄の錫杖で殴られ死亡してしまいます。
実の父親に殴り殺されてしまうとはなんとも無念であったと思われます。
ちなみにロシアの画家レーピンが描いた「イヴァン雷帝と息子イヴァン」は世界史の教材にも掲載されたことのある作品ですので、この話をご存知の方も多いのではないでしょうか。
荊軻(けいか)
中国戦国時代の刺客で、秦の始皇帝の暗殺を試み、失敗した人物です。
彼は燕の太子から秦の始皇帝の暗殺を依頼されますが、その際、手助けをする同行者として秦舞陽(しんぶよう)という人物を相棒にされます。
しかしながら、荊軻はこの人が頼りになるとは思えず、旧友を呼んだのですが、燕の太子から急かされてしまい、やむなく出発、結果として返り討ちにあってしまいます。
頼りになる仲間さえいれば成功したかもしれない、彼がいまわの際にそう思ったかはわかりませんが、一大事に準備万端と言えない状況で臨んでしまったことは無念であったに違いないでしょう。
一日一日を大事に生きてきたいものですね。
とりあえず、今日はここまで。