Nobody Survive Tales

書きたいことをとにかく書いていきます。

失敗の美学~誰もあなたを殺せやしない~

どうも、NSTです。

 

多くの方が日々仕事に追われ、生きていることと思います。

 

仕事をしていく中で、いろんなことが起こると思います。

当然、失敗することもあるでしょう。

 

失敗の程度にもよるのでしょうが、時には責任感のあまり、思い悩んでしまうことがあろうかと思います。

 

今回の記事では、私流の失敗に対する考え方を紹介したいと思います。

 

余計なお世話だよ、とてもじゃないが理解できない、と思われる方もいらっしゃるかもしれませんがご容赦願います。

 

 

 

私には大っ嫌いな上司が一人、もはや「人」ではなく「匹」と数えたいくらい大嫌いな上司がいます。

 

その上司が出世しました。

 

偉くなったからといって何が変わるわけでもなく、相変わらずガミガミとうるさく大嫌いなんですが、そんな上司でもいいことを言うことがあります。

 

役職就任メッセージの文章で彼はこんなことを文末に書いていました。

 

「まずは挑戦すること。失敗したらやりなおせばいい。」

 

彼が本当にこう思っているかは別として、全く持って真理だと思います。

 

そうなんです、失敗はしたっていいんです。

 

誰だって常に成功しているわけではありませんし、特に仕事のような多数の人が関わることはどこかしらで失敗があります。

 

ただそうは言ったって失敗は怖い。取り返しのつかない失敗もあるでしょう。

 

でも、取り返しのつかない失敗をしたからと言ってどうってことはありません。

 

なぜなら、その失敗を理由にあなたを物理的に傷つけることは誰にもできないからです。

 

誰もあなたを殴れませんし、殺せやしません。

 

そんなことをしたら、そんなことをした人が社会的に死亡します。

 

仕事には責任があるからそんなやけっぱちにはなれないよ、開き直りじゃないか、とおっしゃる人もいるかもしれません。

 

そうです、まさしく開き直りです。

でも開き直ったっていいじゃないですか。

 

原点に立ち返って考えてみましょう。

我々は何のために仕事をするのか?答えはいたって単純。

「生活」のためです。

 

ここでいう生活とは、友人や家族と笑って過ごしたり、美味しいものを食べたり、まだ見ぬ土地に行って自分の世界を広げたり、明るく楽しく生きることを指します。

 

そういうことをするのに必要なお金を稼ぐために働くわけですが、失敗をしたからといって、それにとらわれて、生活が楽しめないのはもったいないと思いませんか。

 

あくまで目的は生活です。手段である労働で失敗をしたとしても、それが悪意によるものでなければ、切り替えて次に行けばいいのです。

 

恐らく大多数の勤め人、それも中間管理職以下の立場での失敗なら自身が懲戒免職になることもないでしょうし、誰かがケガをしたり、亡くなってしまうこともないでしょう。

 

「失敗したら仕方ない、次は頑張ろう」

これくらいの考え方の方が気楽に生きれると思うのです。

 

全ての人に当てはまるとは思いませんし、医者、看護師や消防士、警察官、自衛官といった命に携わることのある職業の方は納得できない意見と思いますし、それ以外の職業の方、私と似たような立場の方でも反対意見の方もいらっしゃることと思います。

 

そもそも生活のためではなく、自己実現のために働いているという人からすると、とてつもなく責任感のないやつと思われるかもしれませんね。

 

 

「こんな風な考え方もあるんだ」くらいに受け取っていただければ幸いです。

 

とりあえず、今日はここまで。