生きるということ~とある吸血鬼の名言に見る人生に不可欠な3要素~
どうも、NSTです。
人は何のために生きるのか?
古来から多くの哲人が答えを求めてきたであろう、人類史上究極の命題といっても過言ではない問いかけです。
考えても考えても答えは出ないでしょうし、人によって答えは違うのでしょうが、おそらく大多数の人に当てはまるであろう答えを用意した方がいます。
その人物とは「DIO」。
イギリスの貧民街出身という、決して恵まれた生まれではないものの、持ち前の頭脳とカリスマを活かして、貴族であるジョースター卿の養子となり、財産の乗っ取りを企むも、失敗。吸血鬼となり、世界征服を目論むも、これも失敗。太平洋に散ったかと思われたが、100年後の1980年代に復活、再び世界征服を目指すがまたまた失敗。
そんな失敗ばかりの彼ですが、亀の甲より年の劫というのは正しいようで、100年以上生きた経験のたまものなのか、生きるということに対して明確な回答を提示しています。
その回答とは…
「人は安心するために生きる」
正確には「人間は誰でも不安や恐怖を克服して安心を得るために生きる」となります。
さて、彼に発言の真意を是非教えてもらい所なのですが、残念ながら彼はエジプトで朝日の元、塵になってしまっており、既に語れる状況にはありません。
そこで僭越ながら私が彼が言いたかったことを推察していきたいと思います。
まず彼が言う安心とは「心配なことがない」という意味以上に「心が安らぐ」という意味を指していると想定します。
「心配なことがない」ということは、心を配ることがない、すなわち何もしていない状況です。
何もしないことが生きること、とはあまり考えたくありませんし、100年以上生きた男の境地とは思いたくありませんので、それ以上の意味として「心が安らぐ」=「安心」と考えました。
では、心が安らいでいる状態とはどんな状態なのでしょうか?
それは「金銭的」「他己評価」「自己評価」の3つが満たされているということであると考えます。
金銭的
現代社会ではお金を稼がないと生きていけません。お金がなければ住む場所も着るものも食べるものも手に入れることはできません。
極論すればお金を放棄して、自給自足していくこともできなくはないでしょうが、そうすると現代社会にあふれている魅力的なもの、スマートフォンやPCといった道具、本や映画といった大衆娯楽等々をあきらめなければなりません。
つまり、金銭的に満たされていないと、生活もままならないのに加え、自分がしたいこと、やりたいことをあきらめることになり、「心が安らぐ」とは言えないでしょう。
他己評価
人というのは親類、恋人、配偶者、友人、同級生、上司、部下、同僚、隣人等多くの人々と付き合わざるを得ません。
そして、人というのは、他人に褒められれば(高く評価してもらえれば)嬉しいし、叱られたり、けなされれば(低い評価をされれば)悲しくなる、そんな生き物です。
つまり、他人から高く評価されれば心が安らぐといえるでしょう。
DIOの「結婚したり、友人を作ったりするのも安心するためだ」というのは自分を評価してくれる存在をつくる、そうすることで人は心を安らがせることができる、と言っているのだと思います。
自己評価
3つの中で最も重要と言っても過言ではないでしょう。
どれだけお金を持っていようと、どれだけ人から好かれようと、自分が自分を肯定できないというのは、大変辛いことでしょう。
逆にお金がなくとも、人に何と思われようと、自分が自分を好きでいられるのならば、これ程幸せなことは無いと思います。
(周りの人は迷惑するかもしれませんが)
自分の顔は毎日見ますし、自分と会わない日はありませんからね。
好きな人と毎日会えるのは素敵で心躍りますから、自分が好きな人は毎日が幸せ=「心が安らぐこと」間違いなしです。
DIOの言っている「人のために役立つだとか 愛と平和のためにだとか」というのは、自分を好きになるための理由付けといえるでしょう。
いかがでしたでしょうか。
共感いただけた方はもちろん、共感いただけなかった方にも、自分自身を好きになっていただけ、より良い友人に恵まれ、宝くじが当たることを祈っています。
とりあえず、今日はここまで。