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どうも、NSTです。
今日は少し批判めいたことを書こうと思います。
世の中にはいろんな意見があって時に衝突することがありますが、今日の記事は人によっては、疑問を感じたり、憤懣やるかたないといった気持になるかもしれませんので、予めご了承願います。
先日、こんな記事をインターネットで拝見しました。
記事の内容を物凄く乱暴に解説すると、
39歳男性司書は非正規公務員として勤めており、週4日勤務で12万円の月収で働いているものの、
司書という仕事に誇りをもっていること、同時に非正規職員は自治労系の労働組合からは援助してもらえる可能性も低く、
2020年度からは制度の改正に伴い、更に厳しい条件に置かれるかもしれない…
という内容です。
この記事を見るまで、恥ずかしながら「司書」という仕事がどんなものかよくわかっていなかったのですが、
業務を大別すると、
-1.「本の貸出・返却」
-2.「選書(図書館で購入する本を選ぶこと)」
-3.「レファレンス(利用者が探している本を提供すること)」
上記の3つのようです。
この3つをみたとき、感じたことは、この仕事ってどうしても「司書」でなくてはできないのかな?という疑問でした。
もっと言うと、「人間」でないとできないのかな?と思いました。
昨今、AIに仕事を奪われるなんて話もありますが、「司書」という仕事はその一例なのかもしれないと感じました。
(全国の司書の方、大変失礼なことを申し上げていることは重々承知しております。ただ何分思ったことを発信するということでブログをやっておりますので、なにとぞご容赦願います)
まず、「貸出・返却」ですが、これは特別な資格はいらないと思います。
利用者が借りたい本を把握してれば、特別な知識はいりませんので、レンタルビデオ店でバイトできる方ならばこなせる業務でしょう。
返却なんかはボックスを用意してそこに入れてもらうということもできますね。既に導入されているかもしれませんが。
更に文明が発達すれば、読みたい本を端末で検索して、ボタン一つで受付までもってきてくれる、なんてこともあるかもしれません。
次に「選書」ですが、これはある程度の知識が必要でしょう。広く市民の方に読んでもらいたい、読んでもらうべき本を選定することになりますので、誰でもできるってわけではなさそうです。
ただこの点は人間よりもコンピューターの方が得意かもしれません。
売れてる本のデータを取得し、優先的置くようにするとかありそうです。
最近は電子書籍も多いので、選書する必要すら無くなるかもしれませんね。
電子化すれば無尽蔵に保管できるでしょうから。
最後にレファレンス。紹介した記事ではこの点こそが司書の司書たる所以であるかのように書いてあります。
しかし、この点こそ、人間よりコンピューターのほうが得意とするのではないでしょうか?
記事の例では、司馬遼太郎氏の言葉を記者がインターネットで検索できなかったものの、司書の方は見事に探し当てたという記載があります。
しかし、仮にですが、図書館の本がすべて電子化され、書名だけでなく、セリフや記述の細かい内容まで検索対象とすることができたならば、特別な知識を要さずともこのようなことは可能になる気がします。
記事の中には正規の公務員である司書の数はどんどん減っているという記載があります。ひょっとすると国自体も司書の必要性は薄いと考えているのかもしれません。
将来的には図書館という施設はなくなり、インターネット上の国営図書館のようなものができて、そこから国民であれば自由に電子書籍を閲覧できるという可能性もあるのかなぁ、とこの記事を読んで感じました。
仮定が多く、妄想に近い話ですが、このように感じたというで。
とりあえず、今日はここまで。